部屋の大掃除をした(受験勉強などで切羽詰まると部屋を掃除するなどの逃避行動を起こす等、その通りである)。
今回は、古い本を大量に捨てた。特にコンピュータ関係の雑誌を大量に捨てた。そのほとんどは、5年から10年前に購入した FreeBSDやNetBSD、Linux 等のオープンソース関係の雑誌だ。ここ、数年の間に、フリーUN*X系の本は次々に廃刊され、現在では、日経LINUXくらいしか残っていない。今年の Ubuntu ブレークまで生き残っていたら、少しは売れただろうにとは、思わざるを得ない。
進歩の早いコンピュータの世界では、5年以上前の情報は役に立たない。その上、フリーUN*X系の情報は、著作権上の問題も無いため(プログラムそのものがオープンなんだし)、インターネット上に幾らでもある。だから、古い雑誌を残しておく理由はない。
逆に捨てられないのは、小説などの本だ。これらは、商品の回転が早いので、意外と早く書店の店頭から消えてしまい、重版でもかからない限り、新品は手に入らない。図書館や古本屋でも、よほど運が良くないと読みたい本を再び読むことができない。もちろん、インターネット上でも、作者没後50年(今後法改訂の可能性もあるが)以降にならないと読むことはできない。捨ててしまった本を再び読みたいと思った時に読める可能性は少ないので、残しておかざるを得ない。とは言え、20年以上に渡って本棚に眠ったままになっている本の内の何割を再び読むことになるか、全く判らない。
インターネットの発達は、書籍を取っておく価値を全く変えてしまった。昔だったら、少し古い雑誌でもイザと言うときの情報のために取っておいたのだが、今は、その必要は無い。
書籍の次に来るのは、テレビや新聞等の古いメディアへの変革だろう。
最近のUMPC等の格安ノートPCは、5万円以下で新品が購入できるようになった。
これが従来からの高価なノートPCの市場と争うと思うのは、ごく普通だ。だが、私は、むしろ格安ノートPCに市場を乗っ取られるのは新聞だと思い始めた。
今、大体、新聞は朝刊夕刊込みで、一ヶ月4,000円弱、一年間で48,000円弱だ。一年間の新聞代で格安ノートPCが1台買える。私の家は、4人家族なので、4年間、新聞を止めれば、家族一人に1台格安ノートPCが買える計算になる。これでインターネットを見れば、ニュースだろうが、テレビ番組表だろうが、必要な情報は全てリアルタイムに手に入る。
もちろん、この計算には、インターネットの接続料は含まれていないから、新聞に不利になって居ることは判っている。だが、現在の生活を考えれば、新聞無しの生活は想像できても、インターネット無しの生活は考えられない(仕事上、どうしても必要だ)。
実際、30代前半以前の家庭では、新聞を取っていない人も多いと言う。さらに、格安ノートPCが新聞に与える影響は大きいと思う。だいたい、毎月大量に出る古新聞のゴミは、環境に悪いに決まっている。
だが、多分、私の家では、新聞を取り続けるだろう。それは、受験などで「天声人語」などの新聞記事からの出題が、いまだに多いからに他ならない。高校生の娘と中学生の息子の大学受験が終わるまで、新聞を取り続けるだろう。
受験対策のために新聞を取り続ける。本末転倒な話だ。
それじゃいかん・・って事も判っているつもりだ。だが、一般消費者の一人としては、新聞の購入理由は、それくらいしかないのが現状なんだ。
注意
ブログのコンテンツの内、「告知」など時期よって情報価値が無くなるのは除いてある。また、コンテンツに付いたコメントは書き込み者に著作権があるものと判断し、ここに持ってきていないので、コメントを見るときは、元々のブログコンテンツを参照してもらいたい。
その他、ブログ発表後、コメントなどの内容を反映するなど、内容を変更しているものもあるので、注意してほしい。