左の写真は、家から車で30分ほど走ったところにあるWinkworth Arboretumと言う名前のThe
National Trust ナショナル・トラストの自然保護公園で、5月の初めに撮った写真である。この青紫色の花はブルーベルと言い、英国では結構好かれている花で、春の森を彩る。
このWinkworth Arboretumに入るには、ナショナル・トラストのメンバーは只だが、それ以外は一人2.7ポンド(約594円)の入場料金を取られる。
ナショナル・トラストのメンバーになるには28ポンド(約6,180円)の年会費が必要である。ナショナル・トラストは年会費と入場料で運営されている。ナショナル・トラストは自然環境だけでなく、古い建築物や史跡等を保護する非営利の組織で、公的な機関ではない。英国には、ナショナル・トラストのような組織が数多く存在しており、蒸気機関車や運河、橋など色々な種類の物を保存している。英国では、このような人工的な建築物等も環境の一部と考えており、自然と共に保護する対象として取り扱われる。ナショナル・トラストは、このように数ある環境保護組織の中で最大の物に過ぎない。
英国にも公的な国立公園は存在するが、自然等の環境保護の多くは、ナショナル・トラストを初めとする環境保護組織が行なうのが主体である。
日本においては、環境保護は行政で行われているのが普通だが、この方法が本当に正しいのだろうか? 行政、つまり国民の税金で行なうと言う事は、国民全員の意見の一致の元に行われていると言う事だ。だが、これは、あくまで、建前の話だ。
本来、環境保護などと言うものは賛成の意見もあれば、反対の意見もあるはずで、これを無理に「国民全員の意見の一致」に押し込めるのは、全体主義的考え方である。今でこそ、「環境保護反対」を声高にする人も居なくなったが、彼らをまるで悪者のように扱う風潮は危険である。このような思想統制こそが、最も憎むべき全体主義的考え方で、日本はマスコミ、行政、教育等を含めて「民主主義」に名を借りた「全体主義」を戦後50年経っても懲りずに行なっている。
人は誰でも、例え少数意見でも、自分の意見を持ち、発言する自由と権利があるはずだ。
また、一口に環境保護・自然保護と言っても、保護の対象となる環境は人それぞれに異なる。例えば、私にとって保護したい日本の原風景とは「田植え前にレンゲの咲く田んぼと、その近くの駄菓子屋」である。あの「となりのトトロ」の時代から5年ほど後の日本だ。(歳がバレるな)
この一見自然に満ちた懐かしい環境は、実は自然でも何でもない。田んぼ、その物が人工的なものだし、レンゲは化学肥料の普及前に空気中の窒素を稲が吸収し易いようにする手段に過ぎない。駄菓子屋に至っては言わずもがなだ。
現在の山・川・森林を、保護する事が、本当に自然を保護する事にはならない。日本の森林はほとんどが人工の物である。杉林は、ほぼ全部が植林だし、松や梅などの馴染み深い木は日本人の祖先が大陸から持ってきたものだ。川だって、人工的なものだ。日本最大の流域面積を誇る利根川ですら人工! 江戸時代まで、利根川は東京湾に注いおり、江戸幕府が銚子の方に流れを変えたんだ。したがって、人間の手の入っていない本当の日本の自然の姿を保護しようとすると、誰が想像もできないような原生の荒れ果てた荒野を保護しなければならない。こんな姿は誰もが保護しようとする自然とはかけ離れている。
結局、人間なんて、勝手なもので、自分自身が子供時代に過ごした環境を保護したいと思っているだけである。私にとっての駄菓子屋が、今の子供たちにとっての「コンビニ」や「ゲーセン」なのであろう。彼らが成人し、中年を越えた頃、「コンビニ」や「ゲーセン」を保護したいと思うのだろうか?
人それぞれに、保護したい環境が異なるのは、当然の事だ。だから、似たような環境を保護したい人が集まって、お金を出し合って保護する。そんなやり方で、英国の環境保護は成立している。だから、蒸気機関車が好きな人は蒸気機関車を保護し、歴史的建造物が好きな人が歴史的建造物を保護する。
もし、その組織のやり方や保護する対象が気に入らなければ、次の年から年会費を払わないだけの事だ。そして、自分の保護したい環境を保護する組織に入会し直すか、自分で新たな組織を作っても良い。そんな選択の権利が、英国にはちゃんと残っている。
日本では、まさか税金を払わない訳にも行かないから、保護する環境を選択する権利は無いわけだ。また、自分の意見すら言えない。下手をすると袋叩きに遭うのが落ちだ。そして、その結果に誰も責任を取らない。選択も意見もする自由・権利が無い行為の結果に、誰が責任を取るものか!
日本の全体主義的思想統制や意見・選択の自由・権利の侵害、無責任体制は、環境保護に限らず、あらゆる行政、経済、文化的行為にその影を落とす。キットカー、一つ自由に作れぬ社会に、個人の意見も選択も権利も責任も無い社会に、本当の自由は無い。
嗚呼、日本に帰ったら、「恒星間飛行・トラスト」でも作ろうかな。