マツド・サイエンス研究所

どうすべきか

仮説レベル c4
2019.06.30

概要

しばらく前に、野心的研究に1000億円と話題があったが、野心的研究に『選択と集中』は間違っているって思った事について考えた
書籍「ブラックスワン」
ナシーム・ニコラス・タレブ著 上巻:ISBN-10: 4478001251 ISBN-13: 978-4478001257 下巻:ISBN-10: 4478008884 ISBN-13: 978-4478008881
に影響を受けて、ベル型(ガウス分布)的な確率分布ではなく、べき乗型の確率分布をすると仮定した

我々は、何をなすべきか?

ここでは、「経営者でも政治家でもなく、現場で基礎的な研究や斬新な技術開発に挑戦する研究者・技術者」としての『我々』が何をなすべきかについて、私の考えを述べる。
『選択と集中』とは、言ってしまえば、『無駄をなくす』ことだ。
この無駄とは経営者とか経理とか財務とか上司と言った管理側
以降、「経営者とか経理とか財務とか上司」をまとめて「管理側」と呼ぶ
にとっての無駄で、お金とか物品とか、そう言ったものだ。
そう言う近視眼的な『無駄を省く』ことで、根本的『基礎研究や斬新な技術開発』の力を失っ・・それが『選択と集中』の失敗原因だと考える。
ここでは、従来と視点を変え、『無駄を省く』事を止めると、どうなるかを考えてみよう。
唯一『省くべき無駄』は、我々研究者や技術者にとっての『無駄な時間』だけである。

車輪の再発明はしてもいい

「車輪の再発明」は、管理側ではなく、研究者や技術者自身の無駄だと考えられている。 しかし、そうだろうか?
管理側の無駄を減らしたいのが主な動機の発言
私は、非常勤とは言え、曲がりなりにも10年以上、某大学の准教授をやっており、こう言う発言の根本理由を自問自答した
じゃないだろうか?
自分で、発明なりのアイデアを考える立場から言えば、良いアイデアなんて、前触れなしで行き成り浮かんでくるもので、どの分野のアイデアが出てくるか、前もって判るわけがない。
再発明を避けるには、ありとあらゆる分野について、事前に勉強する必要があるのだが、その勉強時間こそ無駄である。
「良いアイデアが浮かんだ」が先で、それから「その分野について勉強」の方が手っ取り早い。
その結果、他の人が先に考えている事が判ったって良いじゃないか。 がっかりする必要はない。 むしろ、「俺の考えは正しかったんだ。センス良い、俺」くらいに思って、そんなアイデアにはしがみつかないで、また新しいアイデアを考えれば良いのである。
「車輪の再発明」をしても良い
冗談じゃなくて、「車輪の再発明はしてはならない」って、まじめに言う人は、自分でアイデアを考えたことが無いんじゃないかと思っている。
「車輪の再発明」をしても良いが、その代わり、アイデアにしがみつかず、どんどんアイデアを考えることが重要である。

担当以外のアイデア、バリエーションのあるアイデア

「それは、他の部署の担当だ」
「それは、既に他の人がやっているから、同じようなことをやるのは無駄だ」
これらも、やはり、「管理側の無駄を省く」ことが目的だ。
同じような目的の研究を多数やっても、素晴らしい価値を生み出すのはごく僅か。 むしろ多様性のあるアプローチの方が、より良い結果を生む可能性が高い。

良いアイデアが浮かんだら、まず作って確かめよう

「良いアイデアが浮かんだら、実際にモノ作りをする前に、良く考えよう。そうでないと無駄になる」と言うのも、管理側の都合だ。「実験計画書」みたいなものを提出させて、管理している風にしたいだ。
どんなに考えても、実際にモノ作りをすると考え漏れがある。 考える時間こそ「研究者・技術者の時間の無駄」である。
これだけ言っても「実際に作ったモノがアイデア倒れだったら、それこそ無駄だろう」と言う反論が来そうだが、そもそも「べき乗分布」は、8割以上が「役に立たない」ことを前提に、ごく僅かの「光り輝く斬新な研究・技術開発」を救うことを目的にしているのだから、少々の「役に立たない」ことなど気にしていたら始まらないのである。

新しい価値の創造の方が重要

研究や技術開発の方向性として、数値目標の向上を上げる人が多い。 判り易く例えるなら、「自動車ならエンジンの馬力の向上」、オーディオなら「周波数特性の向上」などである。
幾ら、自動車のエンジンの馬力を向上させても、空を飛ぶことはない。 「空を飛べたら良いな」
それが新しい価値の創造だ。 これが意外と難しい。
「新しい価値の創造」は、2つの難しさがあると思う。
1つ目は、先生や上司の言う価値観ではなく、自分自身で作りだす必要があることだ。 これは、自分の価値観に自信があることが重要である。 自信を持つためには、感性を磨くのが良いと思う。
2つ目は、自分で思いついた「新しい価値観」を他の人に伝える難しさだ。 特に、その「他の人」が研究予算の決定権などを持つ「管理側」だったりしたら、その人に「価値を説明」するだけで、時間を取られる。
その上、そう言う人に限って、ものわかりが悪い。
しかし、そう言う説明の時間こそ、本当の無駄だ。 説明する時間があったら、実物を作って見せたほうが、まだ価値を理解してもらえる可能性がある。
そもそも、新しい価値観を理解できない人は、自分で価値判断できないんじゃないかと思う。 物分かりの悪い人に限って、最初は否定的だが、実際に作ったり、他の人が評価したり、実用化したりした後になって、「自分は最初から判っていたんだ」と言う。 要は、他の人の意見に左右されているだけだ。
「べき乗分布」が本当なら、物分かりの悪い人に説明する時間
現在は、「物分かりの悪い人」に上手く説明する研究者や技術者だけが得しているような気がする。パワポエンジニアとかCG宇宙開発とか、とにかく口だけは上手くて、中身のない研究とか技術開発のなんと多いことか
はやめて、とっととモノ作りをした方が良いことになる。

議論はしても良いが、人格攻撃はしてはいけない

ここからは、研究者や技術者の仲間内での話。
議論する時、「その論理・仮説・アイデアは間違っている」は言っても良いが、「おまえは間違っている」は言ってはいけない。
この違いは、前者は「論理・仮説・アイデア」を否定しているが、相手を否定している訳ではない。しかし、後者は相手の人格を否定している。
若い学生が斬新なアイデア(もちろん思いついたばかりの生煮えにアイデア)を発言した時、年長者が「そんなのできるわけないだろ。常識を知れ。もっと勉強しろ」と言った場面を目撃したことがあるが、これなど論外である。
「論理の否定」と「人格否定」を切り離さないと、議論は円滑に進まないし、なにより新しいアイデアが出なくなる。
また、「人格否定」を混同していると、「1人の人間が、複数の『論理・仮説・アイデア』を持つ」と言う状態を許容できない。 (政治などでは、一人の政治家が2つ以上の相反する『政治方針』を持つことは考えられないだろうけど、科学の世界では、「物理学者は、それぞれ『10個の宇宙論』を持つ」など、当然のことだよ)

完璧主義はやめよう

今度は逆に自分が良いアイデアを思い付いた場合、「ちゃんと検証してから、他の人に話そう」と言うパターンだ。
これも研究者自身の「時間の無駄」だ。 良いアイデアほど、早く広めた方が良い。 そもそも「べき乗分布」なら、大半は役に立たないのであるから。
特に完璧主義者だと、いつまで経っても十分な検証ができず、発表の時期を逃すことがある。
間違った事を言っても恥ずかしくないと割り切り、早めに話した方が良い。」

仮説レベルを考慮しよう

別ページの仮説レベルにも示したが、アイデアや仮説、理論と言ったものは、検証を重ねる度に信用できるものになる。
生煮えのアイデアを発言することは良いのだが、それが十分に検証されたものと勘違いされると議論が混乱するので、仮説レベルを明確にして議論すべきである。

「人格攻撃の禁止」「完璧主義はやめよう」「仮説レベル」は、同じこと

実は、上の3つは、同じ事を、異なる3つの視点で説明しているに過ぎない。 要は、研究や技術開発を円滑に回し、新しいアイデアを出しやすく、それの実現を増やす環境を作りである。
「人格攻撃の禁止」すれば、「完璧主義をやめて」アイデアが十分検証していない時点でも話やすくなる。 この時、「十分に検証され理論」なのか「思いついたばかりのアイデア」なのかを判りやすくしておくことで、議論が円滑になるだろう・・と言う訳だ。

結論

基礎研究や斬新な技術開発のためには、研究資金を選別することなく大勢に配分し、細かい「無駄を省く」ような事に気を使わず、おおらかに研究・技術開発しよう・・と言うのが、私の結論。
でも、これって、従来の「無駄を省く = 選択と集中」の考え方と、思いっきり相反すること。
まずは経営側・管理側の意識改革が必要だねえ。